昭和50年05月05日 朝の御理解



 御神訓 一、
 「信心の心得「出産の時よかり物によかるより、神に心を任せよかれよ。」

 愈々の時神様にお任せしきると云う事です。是は出産といった時の事だけではありません。全ての事がそうです。常日頃に信心又は精進がなされておらんと、そこに任せきる心が生まれて参りません。例えば出産の時でも、普通に云わば体の精進、例えば出産の時にはまあ出来るがけ体を使えと、まあー私共の家内なんかは、もう生まれる数時間前まで家事の御用をさせて頂いとります。
 もう本当にあのうだから何時も軽いお産のおかげを頂いとります。ですからもうさぁきついからね、体の調子がこんなだからというて、あんまり大事にし過ぎて、楽ばかりしておると、出産の時にきつい思いをしなければならない。日頃それを矢張り精進しておきますとね、矢張り確信も生まれて来るし、同時に神様に心任せて出産する事が出来る様にね、よかりものにと言うのは、よりかかりものという意味なんです。何かに縋るとか頼るとかいう意味なんです。だから全ての事がそうです。
 出産の時であり例えばこう云う大祭なら大祭、教会で大きな行事が御座います時に、私はもう何んにも致しません。もうそれこそ神様に心任せておる訳です。それは少しでも行き届いた素晴らしい、手落ちの無い様な大祭を奉仕させて頂きたいことはもちろんです、けど皆さんがまぁ云わば私の手にもなり足にもなってやって下さるから、私が出てガタガタ言わなくっても、それこそ私の願い以上、私の思い以上に行き届いたお参りを奉仕することが出来ます。
 それを何もかにも自分でやらなければならんと云った様な人があります。人間のする事ですから、どこかに手落ちがあったり致しますけど、神様にもうお任せしきる事の為には、大祭前の言うならば修行が本気で出来ておらねば、愈々そん時だけ委ねると云うのは余りもの事だとこう思うです。ね。祈りに祈り祈りこんである。ですからさあ大祭の時になったからというて、慌てふためいたりする事はいらんのです。
 所謂心任せておれれるのです。心任せておれると云う事は、それだけ日頃の信心が出来とらなければ、いけないと云う事なのです。そん時だけ任せると言うのは、あまりにも大胆なと私は思うです。常日頃矢張り行き届いた信心させて頂いとりるから、愈々の時には任せられる。神様がおかげ下さる。と言う言わば確信と云うかよし例えば思う様にならなくても、その時点を有難く受けて行くと云う度胸が出来て来るのです。ここ合楽では結婚式が毎日続いとります。
 もうそれを主になり軸になって若先生が何からかにまでさばいてくれます。私はまぁお祭りに一寸だけ出ればそれで良いだけ、何からかにまでさばいてくれます。今日のま結婚式は弟の結婚式になりますから、それこそ親方は親同然の責任を感ずるのでしょう。もう何か昨夜からもう、恐らく寝とらんだろうと思います。徹夜の様な色々と、それに昨日今度は親教会の先生が斎主をして下さいますので、もう昨夜遅うあちらから電話が掛かって、今日の打合せをしたいからと云う事であった。
 私も遅く十一時頃どんな風にしとるだろかと出て来ましたら、まぁだ一生懸命皆んな色々とま検討中でありました。秋永先生も残って一緒に相談相手になって下さってあった。若先生は今、善導寺の教会に打合せにいっておられるという事であった。帰って来てから申しますのに、始から式の具合をやり直さにゃいけない。兎に角百何十人ですから、新館の方では出来ませんから、お広前の大祭の時と同んなじでこの研修室からこの廊下の此処まで、障子を取り除いてやらなければ入らないのです。
 だから結婚式はその為に結婚式場がある訳ですけれども、ですけれども、そちらが御神前でなければいかんと言わっしゃる。その間に百何十人ものお膳を出して準備をしとかにゃならん。それをまぁいろいろ訳を言いてから、まぁあのう新館の方が結婚式場になる事を、まあ知られなかったのではないでしょうかね、何時も御直会所に使いますから。あそこが御神前になると言う様な事知られなかったのかも知れん。どうでも結婚式は御広前でやらにゃいかんと。
 とても大事な事ですよと、いろいろ御説明申しあげて、そのうもう要約それにして貰う事にした。けれども仕来りだけは言うならばここ辺の教会の仕来りでしなければいけない。もう斎員でもそれこそいわゆる合楽流というか、豊美の時の結婚式の時の御本部でしたから、あちらでの結婚式を大体芯にして、それに合楽風のものを加味して、この結婚式が行われます。だから是であったら若先生もみな慣れておりますからね。
 毎日しておるのですから出来るのですけれども、今度は全部行き方やり方を変えなければならん。斎員から変えなきゃならん。それでいろいろまあそんな訳で、まあてんやわんやしている訳です。それでそのういちいち私がところに持って来んでも、具合ようやってくれんのと私が言った訳です。親先生あなたが後から、文句言いなさらにゃよかばってん、文句言いなさっちゃ出けんですよと。いや言わん、言わんと私が言うて、まあ神様にお縋りしとる訳です。
 なら私がこうしとますから、采配ふるった方が行き届くか知れませんけれども、それではね本人の為にもならない。只神様にお縋りするだけ。昨夜私ここへ出て参りましたから、明日の結婚式の事をお願いさして頂きましたらあのスプ-ンですかねスプ-ン、スプーンの真ん中に紐でくくってある。スプ-ンの真ん中を紐でくくってこう引っ張ってこう回るですね。そしてこうこうするとでんぎりまいするでしょう、スプ-ンが。それこそ神様からキリキリ舞をさせられておる所で御座います。
 けれどもスプ-ンですから掬うのですから、明日ちゃんとキチット出来ると、神様がおかげ、お繰り合わせ下さるという意味なんです。そのキリキリ舞させられておるの事が大事な事なんです。なら例えば若先生がまあ私の代わりに何からかにまで頂いてくれる。是からまぁだいうならば未来がある。是からが。その為には矢張り通る所を、通っておかなければならないと云う事であります。
 何からかにまで親父まかせ、親父がまぁだ元気にしとるから、もう親父任せであってはね、さあ愈々自分がやらんならん時に、とちめん棒を振らんならん。そこで私が云わば放任の形をとっとりますけども、私は誰によかるのじゃない、彼によかるのではない。だれに縋るのじゃない、神様だけに私は縋っときゃよいと云う事だ。そこからね良い出産というか良いものが生まれて来る。今日の結婚式というのが言うなら。
 水を漏らさぬ様に行き届いた、きちっとした結婚式とするならばです、矢張り前の日までは神様が、それこそちんちろ舞する様に、若先生を中心にして外の先生方も又御用して下さる御信者さん方も、お使いまわし頂いとる訳ですけれども。私があちらこちら回って、此処はああしてくれ、と言うて回らんでも、私が手ずからしなくっても、今日の結婚式なら結婚式の事をです神様に委ね縋り、勿論任せきってのおかげを頂けれる様な信心を日頃しておかねばならないと云う事であります。
 神に心まかせよかれよとこうあります。神様に心をまかせて、なら神様がどうかして下さるだろうからと、日頃の信心が出来ずにそれをしておる。腕挫ぬいておる事は、是はあまりにもの信心であり、それは少し大胆すぎる事であります。大胆すぎるというのと、信心の度胸というのは、自ずから違わなければなりません。日頃の信心出来んなりにも、いっぱしの信心辛抱が出来て始めて心が座るんです。
 さあ出産だからというて慌てんで済むのです。まあ今日の結婚式が、どの様な形で神様が演出して下さるか、まあ云うならば楽しい事です。それには言うなら昨夜も殆ど徹夜の様にして、若先生を始その御用に当たって下さる方達がね、あれこれと練る所は練らして貰う。改まる所は改まらして貰う。準備用意をする所はそれこそ用意おさおさ怠りなしという様に、人間の力の限りを尽くして。
 今日のお祀りに皆さんが当たっておられる。その芯をなしておるのは、この度は若先生がね親の代わりとして、又弟から云えば親方は親同然の責任をもってその事に当たってくれておる。で私が言うならば出しゃばらんで、ガタガタ言う事はいらん。私しゃ神様に縋っておけばよいと云う事になります。そこから良い答えが必ず出るとを確信さして貰うと云う事、私は是は出産と云って婦人が出産の時と云う事だけじゃなくて、よかるものによからすと云う所に一つのね金が足らんあれにも頼む是にも頼む。
 そして神様に無理な願いをする。さあ何かと云やぁどうぞ頼みます、お願いしますと言うて人にばっかり頼っておる。そう云う事はせんでもです、神様に頼り縋っておけば、それが一番おかげが受けられる。それこそ安産のおかげが頂けれる。第一番のそれが信心でありこつであります。愈々出産と云う時に慌てんで済む様な信心を常日頃しておかねばならないと云う事を教えておられるのですね。
   どうぞ。